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平成26年2月 榛原病院エンゼルメイク発表会


患者家族に寄り添えたエンゼルケア
発表者 介護職 平野可菜美

私は介護職として4年目。エンゼルケアを学ぶ機会を得ました。
そのような中、昨年祖父を亡くしました。祖父は家が大好きだったので訪問看護を受けながら最後まで自分の部屋で家族と一緒に過ごしました。

食事を拒否していた祖父が心配で私がお見舞いに行った時のことです。祖父より「可菜美。せっかくならお前が介助してくれ」といい一口だけではありましたが口にしてくれました。そして「おばあちゃんより上手だな。介護の仕事をしているだけのことはある」と褒めてくれたこと、一生忘れません。
看取ったあと看護師から「今から着替えとエンゼルケアを行います」と言ったとき「孫の私たちにやらせて下さい」ということができ女の孫4人で祖父のエンゼルケアをすることができたことは財産でした。最期まで祖父に寄り添うことができたことは本当に良かったと思っています。

そして、実際に患者さんのエンゼルケアに一人で携わることが出来たので紹介します。
その日は夜勤勤務でした。日勤勤務者からの申し送りで血圧が下がってきておりサチュレーションも測定ができなくモニターが装着されていました。

私は自分の勤務帯でFさんの看取りにかかわることができたら出来ることを精一杯してあげようという気持ちがある反面、十分なケアができるであろうかという不安な気持ちが入り混ざっていました。
夕食の時間であったためホールで多くの患者さんの食事の対応をしている時、モニターの音が鳴り響いていました。その後モニターの音も聞こえなくなり一緒に勤務をしていたヘルパーのTさんから「Fさんが亡くなったみたい。」と告げられました。私は精一杯のケアをしようと決めました。夕食の後片付けをしているなか、看護師より「シャワー浴とエンゼルメイクをお願いしたい」と言われました。ヘルパー二人でシャワー浴を行いました。
御家族より「シャワーを浴びせてもらえてよかったね。きれいになるね」と喜んでくれました。まだあたたかいFさんの体に触れた私は自然と「Fさん、がんばりましたね。お体をきれいにさせていただきます」と声をかけていました。着替えを終え家族の待つ病室に戻りました。

一人でエンゼルメイクを行うのは2回目でした。普段は師長と一緒にご家族と行う場面に同席をしていたのですが今回は私一人。勇気を出してご家族に「よろしかったら一緒にお願いできますか」と声をかけました。ご家族からは「一緒にやっていいんですか。祖父を亡くした時には私たち全く関わらなかったんですよ」と言われました。
私は「ぜひ一緒にお願いします」と声をかけ一緒にメイクを行いました。
メイクをしている時ご家族からFさんの昔話を聞かせていただきました。「農業をしていてほとんどお化粧をした姿を見たことがなかった。」「お化粧は結婚式依頼かもしれないね。」「もう一度お嫁に行くみたいね。久しぶりにお父さんと会ったらお父さんびっくりするね」と家族は微笑みながら話されました。

Fさんの顔は不思議なほど口元がゆるみわずかに微笑んでいるように見えました。
ご家族も「なんだか笑っているようだね。とてもいい顔をしていて嬉しい」という声を聞き私もうれしく思いました。
私は家族と一緒にFさんの昔話をうかがうなか、元気に農業をしていたのではと、日に焼けたFさんを思い浮かべながらほほ紅の色、口紅の色を家族と伴に決めることができました。

祖父の死を通してエンゼルケアの大切さ、家族が寄り添うことの意味を改めて感じることができました。そしてこの経験が仕事の中で生かすことができ、家族と一緒にケアをすることが出来たことはとてもよかったです。これからの介護に役立たせ、患者・家族に寄り添うことができる介護士を目指していきたいです。



患者紹介 N.F(94) 女性
病名:胆のう癌 
入院日:平成25年11月22日
平成25年10月腹部の違和感がありかかりつけ医受診。胆のう癌が見つかり癌性腹膜炎も認める。高齢であるため告知はせず緩和ケアを目的として当院へ入院。
疼痛緩和のためデュロテップパッチ使用。
経口摂取は困難な状態であったため末梢からの点滴を行う。
平成25年12月5日 午後6時6分家族に見守られながら他界。